公開ディスカッションに向けての問題整理(その3)

3.マニフェストと総合計画(基本計画)の期間と内容は一致している?

前回、マニフェスト(ロードマップ)と総合計画(基本計画)の期間や内容がバラバラだと困ったことになるということを書きました。

ここでもう一度、(前)岐阜県多治見市長の西寺雅也氏に登場していただいて、何故マニフェストと総合計画が一致していないといけないのかということを語っていただきたいと思います。

(2003年の地方自治土曜講座での講演録より引用)

 ここで私たちが考えておかなければならない重要なことは、現職の首長にとっては実は「総合計画」自身が本来「マニフェスト」でなければならない。もし「総合計画」からかけ離れたようなことを私が言い出したとすれば、おかしなことになってしまいます。私は現職の市長ですから、総合計画をつくった当事者です。その私が総合計画から掛け離れたことを公約として出すというのは自己否定以外のなにものでもないということになってしまいます。本来、行政全体が総合計画を実施するということで成り立たせているはずですが、それから全く掛け離れた政策、公約として出すこと自体がおかしい話であって、もし本当にその政策をやらなければならないのであれば、最初から「総合計画」の中に組み込まれていなければならないはずです。ですから、現職の「マニフェスト」というのは本来「総合計画」そのものと思っています。

また、「第5次草津市総合計画」を策定される際に出された方針(計画策定の趣旨)では、「基本構想については平成32年度(2020年度)の将来像を目指し、基本計画については、市長マニフェストとの整合を図る計画とします。」と位置づけています。 このことから、草津市でもマニフェストと総合計画(基本計画)の整合性を重視していると考えられます。

そこで、このマニフェストと総合計画との整合性という物差しで具体的に検証してみることにします。

(1) 実施期間の比較

まず、マニフェストと総合計画の期間についてはどうでしょうか。

分りやすくするために年表を作ってみました。

 his

 

うぅ~ん。どうもピタッと来ないなぁ・・・

2008年2月に任期満了による市長選挙がありました。

この時は、NPOまちづくり本舗と社団法人草津青年会議所が共催でマニフェスト型公開討論会を実施しました。その結果は、投票率38.5%、投票数17,584票対17,281票(303票差)で橋川氏が当選され、同年3月より第1期目となる橋川市政がスタートしました。

当時、第4次草津市総合計画があり、その目標年度である2010年まで続いていました。そこで、市長就任直後の2008年度と2009年度の2年間をかけて第5次草津市総合計画が策定されました。

このタイミングは、ものすごく良かったと思います。新市長自らが、新たらしい総合計画を白紙の状態からつくることができた訳ですから。  それが出来るまでは、マニフェストに基づいて施策を実行し、更に総合計画(基本計画)の中にしっかりと落とし込むことも可能だったことでしょう。

でも、第2期目となるとものすごく収まりの悪い状態に陥っています。

マニフェスト(ロードマップ)と総合計画(基本計画)が1年ずつズレてしまっているのです。

どう考えれば良いのでしょうか?

もしかして、橋川市長が2期目の出馬や後継者を推薦する可能性や意思が全く無かったから、次の市長になるであろう方のために、第2次基本計画を策定する時期をあえてズラした・・・とか。  あるいは、私のような凡人には分からない何らかの事情があるのか。

この点は、2月19日に開催する公開ディスカッションの場で橋川市長にお聞きしてみたいと思います。

次回は、マニフェスト(ロードマップ)と総合計画(基本計画)の内容が一致しているのかどうかについて検証します。(つづく)

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